ひとりじゃ行けんって思ってたけど、よりちゃんが一緒やったら行ける。
うちの母はとても繊細で優しい人。
いつも優先順位は他所にあって、自分の順番は最後尾か?というくらいの人です。
そんな母が大切に想っていた自分を解放できる存在、仲良くしていた友人(以下Aさんとしますね)が岡山へ引っ越ししてからというもの、気軽に会えなくなり寂しそうにしてました。
手紙とかメールとか。
つながりは続いているものの、直に会って過ごす時間がなくなった事は母にとって自分を緩める時間が急激に減ったんだと思います。
母:Aさんからはいつでも会いにきてって言われるけど、家を開けたりなんか、そんなん無理。一人で移動なんて不安やし。
まず実家の位置情報を言いますと、石川県小松市。
そこそこ山の上といいますか、車移動が必須です(この冬の寒波では雪の厚みが胸ほどある写真が送られてきました)。
最寄りの小松駅までもバスに乗らねばなりませんし。色々用事を済ませようと金沢に出るのにも母的には段階を2、3過程踏まなければ『できない』と思ってます。
その超えなければならない過程のひとつでおっきいのが父の存在。
自己主張の塊的な父に、最寄駅まで送ってねが言えない。
そもそも父に数日家を開けることが言えない。
さらに、Aさんに会いたいなら会ったらいいやんか。一緒に行ったげる、と言い出した娘の出現。
果たして自分だけ娘と楽しい思いして会いたい人に会っていいのか、を
よう言わんと言ってきました。
まあある程度は予想していた母の発言に、
あたし:あたしからお父さんに言うし、大丈夫やし。とりあえずAさんと連絡とって会える時間確保せんとね。
ほんで、もしAさんがお忙しいんやったら、二人で岡山観光して帰ったら良いげんて。
そう伝えて、ホテルを押さえました。
父には後日
あたし:お母さん孝行もせんなん思っとって、Aさんとこ行こう思てるげん。こう言うんは順番やから、次はお父さんやし、まあ小松駅まで送ったげてや。もちろん帰りもお迎えしたげんといかん。
父:わかっとるわ。お母さん連れてったげるんか、わかったわ。
父なりに感じてたんでしょうね。
母の混沌とした想いの発散になるんならと、以前の父なら何がなんでも一緒に行くときかなかったであろうに、お母さんに付き合ってあげて欲しいと言ってきました。
そんな岡山行きが今週末になり、待ち合わせ場所やあたしがお母さんと一緒に行きたいところ、食べたいものなど電話すると。
母:よりちゃん、お父さんになんてゆうてくれたんか知らんけど、お父さんお小遣いまでくれてんよ。
そして父より再度電話
あたし:お母さん、お父さんからお小遣いもらえて『やったー!』ゆうとったわ。ありがとう。(母は決してやった−!とかゆいません。むしろもらっちゃってどうしよう?思うタイプです)
父:お母さんな、服とか買ったら良いと思うてん。Aさんと会うのに明るい服とかな
あたし:(そんな乙女心わかる父とは思っておらず驚愕しつつも)せやったら、2日目にAさんと会うから岡山でお母さんの服見るわー
父:そうか!それやったらも少しNちゃん(父は母をちゃん付けします・笑)にカンパするわ
あたし:ほんまにー!じゃあそのプラスαで美味しいもんふたりで頂くわな〜(プラスαはあたしも共有させてもらえる態、前提で言ってみました)岡山の美味しいもん、めちゃ調べてん。
父:よりちゃんは色々ゆうなあ。まあ食べたらええわ。
普段忙しくて、なかなか話したりもできていないのですが、
両親のちょっとしたことが大きな変化に感じます。
今年のあたしなりの目標は、自分が満たされること。
その満たされるひとつに、家族を大切にすることがあります。
自分の叶えたい、伝えたいを優先するための方法として。
自己犠牲はありえませんよね。
あなたの声で受け取りたい思いを待ってる人がいるから。